和歌山市議会 2012-09-19 09月19日-06号
当時は大橋正雄知事でございました。大橋知事が、そのブロック会議で初めて紀淡海峡にトンネルを掘りたいという話をされて話題になったと、こういう話でございます。これが事の発端であります。 それから40年余り経過をいたします。一時、もう橋がかかるのかいなと思う時期がございました。それは阪神・淡路大震災が起こりまして、第二国土軸が必要だということで大きく叫ばれた時期でございます。このときが最高潮だった。
当時は大橋正雄知事でございました。大橋知事が、そのブロック会議で初めて紀淡海峡にトンネルを掘りたいという話をされて話題になったと、こういう話でございます。これが事の発端であります。 それから40年余り経過をいたします。一時、もう橋がかかるのかいなと思う時期がございました。それは阪神・淡路大震災が起こりまして、第二国土軸が必要だということで大きく叫ばれた時期でございます。このときが最高潮だった。
そして、37年前、大橋市長の御尊父、当時の大橋正雄知事が甘夏みかんの苗木を贈ったことでのみかんのつながりや、野嶋副議長の御令息が小学校6年生のころ、少年サッカーチームの一員として交流試合に参加、訪問したことなどが話題となり、済州市との親密な関係がよりクローズアップされ、楽しい昼食となりました。
さらに、済州道の主要産品である果実のうち、その大半を占めるミカン類については、その栽培に適した気候も、両県、両市に共通するところであり、三栄交通観光代表の康さん御一家の仲介で、市長の父上である故大橋正雄知事が苗木を済州道へ送ったことで、今日の成果に結びついていると言われるミカンの御縁によるものか、済州市が和歌山市に対して寄せる好感や期待には大きなものがあると思われます。
これは、あなたのお父さんの大橋正雄知事、宇治田市長がこんなに言ってました。「大橋さんって偉いで。この目でこの耳でこの足でというて。わしも絶対現場行かんと知事さんに負けるよ」と、こういうことを言われた。 ですから、議会へ出てきて市長に聞かれることも多々あると思うが、それを嫌がっててやってたらだめだと思うんです。大きいむだが出てきますよ、見えてきます。
大橋正雄知事が、岩城茂君だよと司会者の方へ向いて言ってくれました。 それが私のゼロからの出発で、皆さんと議会議員として活動を始めたわけであります。皆様方のお力添えを得まして総務副委員長、総務委員長、会計監査、農業委員、四市競輪議会議員、あるいは副議長、第62代の議長に就任する機会を与えていただきました。